前回の続きです。
その子が安心して成長できる場所を選ぶ
ふう太も1年生で入学した学校はだんだんしんどくなったため、3年生でいまの学校へ転校しています。
ふう太は転校したとたん表情が変わりました。
それまでとても疲れた顔をして帰ってきていたのが、疲れていても柔らかい顔で帰ってくるようになったんです。
『つっかれた~!!』と明るく言いながら笑顔で床に寝っ転がる姿を見ていると、転校して本当によかったなぁと心から思います。
ここまで、わが家やお友達の様子を書いてきましたが、
こういったことを考えていると、私自身の小学生時代の1人のクラスメイトを思い出します。
男の子でした。
5・6年生で同級だったのですが、彼の声を聞いたことは一度もありません。
一言も話さない子だったんです。
学校へは毎日来ていました。
でも、いつでも少し伏し目がちの同じ無表情で、一切の喜怒哀楽を表しませんでした。
目が合ったこともなかったです。
空気のような存在で、ときどき馬鹿にすることを言う子はいましたが、継続的ないじめはなかったと思います。
あの子はしゃべらないしなぁ
よくわかんないから、そっとしておこう
そんな雰囲気でした。
みんな仲間はずれにするでもなく、
積極的に誘うでもなく。
いつも教室のどこかで友達をふわっと避けて1人でいて、
なんだか風に吹かれたら飛ばされてしまいそうな、そんな感じのする子でした。
体育のときもどこかで大人しくしていることが多かったと思いますが、
野球が好きだったのでしょうか、
ソフトボールだかハンドベースだかの授業のときに、
盗塁を狙って1塁からひょこひょこと何度も走り出しそうにしていたのを覚えています。
その盗塁を狙って動いている時だけが、
2年間同じクラスで過ごして唯一彼の意思を感じた瞬間でした。
同じ学年に場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)らしい女の子もいましたが、
その女の子は目は合うし、表情は硬いけれど目には意思が見てとれました。
(場面緘黙症=学校や職場など、特定の社会的場面でだけ話すことができなくなる状態のこと)
でも、同じクラスの彼は、本当に表情が一切読み取れませんでした。
当時の私は、
(不思議な子だなぁ…)
くらいにしか感じなかったのですが、
大人になり、子どもを育てる側になると、
(彼はいったい何を抱えていたんだろう…)
と考えるようになりました。
自閉症か何かだったのかもしれませんし、
私には想像できないような事情があったのかもしれません。
でも本当に、彼は、毎日何を感じ何を考えていたんだろう。
彼の目に、私は映っていたんだろうか。
彼はどんなことが好きで、
何をしている時に楽しく感じるんだろう。
彼の小学校生活は幸せだったんだろうか…
彼がその後どんな人生を歩んだのか、
余計なお世話ですが心配になります。
咲きやすい場所を選んでいい
二児の母になったいま、自分の子だけでなく、世の中の子どもたちみんなが幸せに楽しく暮らしてほしいなぁと思うようになりました。
子どものクラスで気になる子がいたら…
私ができることといえば、
先生にそれとなく話してみたり、
その子とただ楽しくおしゃべりをしてみたり…
それくらいのものですが、
とにかくみんな安心してのびのびと成長していってほしい。
そのためには、子どもが毎日長い時間をすごす学校が居心地のよい場所であることが、とても大切だと思うのです。
公立小学校に通う場合、あまり選択肢はないことが多いかもしれません。
でも、私のまわりには支援級や支援学校へ移っていったり、普通級から普通級へでも学校を変えて、結果楽しく過ごしている子が何人もいます。
また、学校にはあまり来ないけれど、お友達とは良好な関係を築いている子もいます。
学校じゃなくても、居場所を見つけている子もいるでしょう。
子どものうちは、自分の力で世界を広げることは、現実なかなか難しいものです。
家と学校、習い事くらいが自分の生きている世界の全てかもしれません。
だからこそ、
親として、子どもの世界が安心してすごせるものとなるよう、
できる限りその子に合った場所を探したいと思います。
そして、その場所は、本当はそれぞれ違うはずです。
お日様が好きな花もあれば、日陰を好む花もあります。
子どもだって、私たち大人だって同じではないでしょうか?
うちの子も、となりの子も、
あの子もその子もみんなみんな、
自分に合う場所で思いっきり子ども時代を楽しみながら成長していってほしいものです。
そして、
たとえ今は自分にしっくりくる場所が見つからなかったとしても、
もう少し遠くまで見渡してみれば、世界はもっともっと広いはず。
きっといろんな道が広がっているはずです。
悩んだときこそ、『一般的』とか『オーソドックス』とかにこだわりすぎず、視野を広く持つことを忘れずにいたいなと思います。
~その子に合う場所はどこなのか 《完》~