今日、通級の先生から面白い話聞いてさ~!
え、なになに!?
キュッポキュッポうるさかったんで、お父さんがサンダル分解して、鳴らないようにしちゃったらしいんだよね~
そりゃひどい!
かわいそうに…
フグタ先生が笑わないの、サンダルのトラウマのせいだったりして!
いや、それはないだろ!
ふう太の通級担当、笑顔の少ないフグタ先生が、笑いながら話してくれたそうです。
確かに笑えるんですが、私としてはこれ、意外と奥の深い話のように思うんです。
絶対やっちゃダメなやつだと思えてならない…😓
はじめにお伝えしておきますが、今回の話は音の鳴るサンダルの是非を問うものではありません。
キュッポサンダル事件を通して、子どもと向き合う姿勢、子どもを尊重するとはどういうことかを考えて書いております。
子どもの物を勝手に処分 何が問題なのか?
自分の子育てを振り返って、もしも幼い日のふう太やぽよちゃんに同じことをしたらどうなるか、想像してみます。
子どものお気に入りの物を勝手に処分したら…?
いやいやいや!
そんな恐ろしいこと絶対できません!
そんなことした日にゃ地獄絵図ですわ。
でもね、うちの子たちが感情が激しめだったからというだけじゃなくて…
ごくごく単純に考えて、かわいそうではないですか?
人が大切にしている物を勝手に処分するって、相手が大人でもやりますか?
だって、家族に自分の大切にしている物を勝手に捨てられたら怒りませんか?
下手したら、信頼関係にひびが入って、何年も引きずりかねないような大事件ではないですか?
(実際、新聞の読者お悩み相談の欄で、妻に大切な物を捨てられた夫の恨みの記事を読んだことがあるぞ)
それを、相手が幼い子どもならやっていいというのは違う気がします。
子どもを尊重するってどういうこと?
子どもは未熟だし失敗するし、無知で不安定な存在である。
子どもは守られ導かれるべき存在である。
子育てにおいて、主導権は親が握る。
それはそうでしょう。
大人への対応と子どもへの対応で違いが出ることは、当たり前にあると思います。
でも、
「大人に対しては絶対にしないような態度で接する」=「子どもを一人の人間として尊重していない」
ってことじゃないか…?
たとえ可愛がっていたとしても。
そして、尊重されずに育った子どもは、そのうち自分も他人を尊重しない態度を取るようになるのでは…?
だから、フグタ先生のお父さんの場合は、キュッポサンダルがうるさくて仕方なければ、
『音が大きくてパパお耳がいたくなっちゃうから』
と説明して、履く時間や場所を相談するとか、
あるいは、キュッポキュッポしている間は自分が耳栓をするとか、
一方的にサンダルを分解するのではなく、親子で向き合って解決できなかったものかなぁ?と思うのです。
わが家の子ども達は、2人とも激し目の性格でしたので、話しても通じない、聞き入れられないことは日常茶飯事でした。
子どもの物を捨てるにしても、子どもが大事にしている物でなければ、忘れた頃にこっそり処分したことはあります。
何か決める時は、うまく誘導したりもしました。
でも、何事もなるべく子どもと話して、子どもに断りをいれて、『ちびっ子だけど自分と同じ人間なんだ』ということを意識するように心がけてきました。
犬や猫とは違う。
私の母は、私が小学生の頃、服装や髪型を自由にさせてくれませんでした。
私が自由に服を選びたいといっても聞き入れられず、髪型も母の好みのショートヘアーにさせられた時期がありました。
母とは良好な関係を保っていますが、服や髪型を好きにできなかった悶々とした気持ちは、けっこう長いこと残りました。
(過去記事 子どもの服 親が選ぶ? 参照)
子どもの人格が作られるのは日常のなか
子ども達は同じ様な毎日を繰り返して生きています。
その毎日の過ごし方で、人格が作られていくんだろうと思います。
乱暴な言葉にまみれて生きていれば、言葉遣いの荒い人になり、
丁寧な言葉のなかで生きていれば、やさしい言葉遣いの人になる。
尊重されて育った子は、他人を尊重するようになり、
尊重されずに育った子は、他人をないがしろにするようになる。
…かもしれない。
もちろん例外はあるでしょうが。
やんちゃな子を相手にしていると、話して聞かせることの大変さに骨が折れます。
私自身、「相手は子どもだから、このくらいしてもいいだろう…」という気持ちは無意識に生まれてしまいがちですが、そこにある見下した気持ちに気づくことがあります。
でも、大人しく聞き分けのよい子の場合も、本当は嫌なのに言えなくて、心の内に鬱憤が溜まっていく…なんてケースもあるんでしょうね。
その場合は、大人の方に自覚がないと、厄介なことになりそうです💦
ふう太もぽよちゃんも、自分も他人も大切にできる人に育ってほしい。
私も子ども達から信頼してもらえる母でありたい。
それには、やっぱり自分自身の日々の関わり方を振り返って、言動に気をつけなきゃな!と、キュッポサンダル事件に笑いながら自戒したのでありました。