義務教育…子どもには何の義務もない
教員の働き方、仕事内容の膨大さや、それに伴う教員不足が社会問題化している今、
学校が子ども1人1人に完全に対応することは難しいです。
児童数が多ければ多いほど対応しきれないでしょう。
(それ以前に、どこからどこまでが教員の仕事なんだ?という問題は、ちょっとおいといて…)
それに、トラブルがあるわけではなくても、
そもそも学校自体が苦手で、学校のいろんなシステムや雰囲気を苦痛に感じる子だっています。
その子は歯を食いしばって学校へ行く義務があるのでしょうか?
私が中学2年の頃でしたか、クラスに不登校気味の子がいました。
その子の机に
《 学校来いよ 義務教育だぞ 》
という落書きが見つかったことがあります。
そのときたまたま授業に入った理科の先生が、大切なことを教えてくれました。
『あなたたち子どもには何の義務もないんだよ。』と。
義務教育の義務は、
『子どもが学校へ行って学びたいという権利を尊重しなさい』
という義務であって、
それは親に課せられた義務なんだよ。
昔、とくに貧しい家では、
子どもは労働力として必要とされ、
学校へ行かせてもらえず家業の手伝いをさせられていた時代があった。
勉強したくても、それがかなわなかった子どもたち。
働き口も限られてしまい、
貧しさから抜け出すことも難しくなる。
子どもから教育の機会を奪ってはいけない。
それが義務教育なんだよ。
これが、えーと25年くらい前の出来事ですが、
その時の先生の表情、冷静に語りかける口調、静まりかえった教室…
今でもよーく覚えています。
私はこの先生のおかげで義務教育の意味がストーンと体に入りました。
それ以来、私は義務教育とはそういうものだと思ってきました。
まずは自分を大切に
また、先生はこんなことも話してくれました。
その年はちょうど長野オリンピックが開催された年で、日本の選手たちが日の丸を背負って頑張っていたのですが、
先生は、国民の期待に応えたいと頑張る姿を美化したり、メダルの数に一喜一憂するような報道をするメディアのことも、憂いていました。
支えてくれた人への感謝の気持ちを持つことは大切だね。
でも、日本のほとんどの人たちは、選手たちにいったい何をしてあげた?
何もしていないでしょう?
何も関わってこなかったし、存在すら知らなかった人たちでしょう?
みんなも部活の大会では学校を背負わなくていいし、
高校受験では周囲の期待なんて気にしなくていい。
周りの期待を裏切らないようになんて一切考えなくていいの。
自分のために一生懸命やればいいんだよ。
自分を大切にして。
この話は、その当時はわかるようなわからないような…
やっぱり部活で入賞すれば先生たちだって喜ぶだろうし、
期待されてると思ったら頑張っちゃうけどなぁ…?
なんて考えていました。
期待に押しつぶされそうになるなんて経験をしたことがなく、
のほほんとした幸せな子ども時代を送っていた私は、
感覚として今ひとつ掴めなかったのでしょう。
でも、今ならわかります。
ふう太やぽよちゃんが何かを一生懸命頑張っていたら、
よけいなことは考えず、がむしゃらにうちこんでほしい。
親の金銭的なサポートなんて気にしなくていい。
(まあ、チラッと頭をよぎるくらいでいい😆)
たとえ失敗しようと、それも経験。
きっと人生の糧になる。
これは自分さえよければいいというのではなくて、
自分を大切に生きて、心が元気でいてこそ、他の人を思いやる余裕が生まれるんだと思うのです。
だって、寒くて凍えそうなのに、1枚しかない毛布をあげるとか、
飢え死にしそうなのに、やっともらったおにぎりをあげるとか、
そんなことできないですもん。
私だって、ふう太とぽよちゃんの小さい頃は、子育て本当に大変で、円形脱毛になったほどでしたが、
それまで夫はもちろん、家族や友人や、
たくさんの人たちに大切にしてもらって明るく生きてきた、そのパワーみたいなものが
私にはありました。
それでも大変だったので、
看護師さんや心理士さん、
保健師さんに小児科の先生、
幼稚園の先生…
たくさんの人に頼って支えてもらっていたからこそ、なんとか心は元気でいられたと思っています。
子育て大変だけど、
怒っちゃって自己嫌悪することもたくさんあったけど、
それでも、毎日気を取り直して
(今日はがんばろう!)
(今日は小さなこと気にしないで、子どもと楽しくすごそう!)
と思えました。
だから、まずは自分をある程度満たすことがとても大切だと感じます。
自分が溢れるほど幸せなら、その幸せをどんどん他の人に使えばいい。
と、思うのですが…
先述のように校長先生は
『社会に役立つ子を育てる!学校のお客さんは社会だから!』
と、おたよりで断言されたのです。
子ども一人一人の育ちを大切に考えていたら、こんな発言になるでしょうか?
社会のために、社会に都合のいい人間を育てるんじゃなくて、
子ども一人一人が、その子のペースで、その子らしく、幸せに成長していって、やがて社会を支える側になるんでしょうよ。
ベクトルが子どもではなく社会を向いているから、
社会のために子どもを育てようとしているから、
『不登校はダメ!』なんて言葉が出てくるのではないですか?
と、強めにツッコミたい。
気さくな校長先生でしたけどね。
でもその他にも、
おたよりの校長先生のコラムでも、
保護者会でも、
ご自分の考えに自信を持って断言する口調でお話しされる先生でしたので、
『校長の美学✨』を押しつけられているような不快感を感じることが多くありました。
結局ふう太は学校の雰囲気に疲れてしまって、3年生で転校しちゃいましたが。
いい判断だったと思っています。
全国にたくさんいる、不登校の子どもたち。
学校に行けないけど、行かなくちゃならないと思っている子どもたち。
私は本格的な不登校の経験はないので、
不登校の子の気持ちは想像することしかできません。
また、不登校の原因は多義にわたるでしょうから、
私には想像もつかないような悩みを持っている子もたくさんいるでしょう。
でも、原因がどうであれ、どうか元気でいてほしいと思います。
そして、不登校の我が子に心を痛めている保護者の方たちも、同じく元気でいてほしい。
相談先や愚痴をこぼす相手を探して、パワーを分けてもらって、まずは自分が元気になってほしいです。
楽しいこともしてほしい。
社会のために子どもを育てるんじゃない。
親も子どもも自分を大切にして、
自分たちが元気に生きていけたら、
自然と周りの人の役に立ちたくなったりするものじゃないのかな・・・
みなさんは、どう考えますか?
~義務教育と不登校 《完》~