さて、前回の続きでございます。
かるい学習障害があるふう太ですが、幼稚園の頃から療育センターに通っています。
月1回の療育(現在は学習サポート中心)ですが、これは何か目標に向けたトレーニングではありません。
いまどんなことができるのかの確認と、脳に良さそうな遊びをほんの少ししているだけです。
担当の心理士さんはとても素敵な方で、ふう太も私も大好きです。
ただ、療育自体は、月1回通ったからといって何か効果があるようなものではないと思っています。
でも、ふう太は楽しんでいるし、私も勉強方法や学校に求める配慮などの相談が気軽にできるので、ありがたく通っています。
その心理士さんも、3ヶ月に1回程度診察に入ってくれる担当医の先生も、発達障害のために苦手になっている部分(特に学習面)を、トレーニングで押し上げていく・・という様なことは、基本的にはあまりしません。
視力の低い人は眼鏡を使う。
聴力の低い人は補聴器を使う。
それと同じように、発達障害で何か弱い部分があるのなら、そこを補うアイテムをどんどん使っていけばいい。
そういう考え方をしていらっしゃいます。
板書を書き写すのがしんどいなら、写真をとる。
授業や宿題で取り組む問題の量が多すぎるなら、先生と相談して量を減らしてもらう。
その考え方に共感はするものの、実際にふう太を見ていると、う~~~ん・・・と悩んでしまうことがあります。
たしかに能力外のことをさせて疲弊させるのはよくないと思います。
自信もなくしちゃうでしょうし。
でも、ふう太はふう太なりに能力がUPしていってるんですよね。
たとえば、今の担任の先生は3年連続で、ふう太は4年生からずっと同じ先生に受け持ってもらっています。
この先生は宿題がなかなかの分量で、チェックも細かく、漢字プリントは1文字でも雑な字があれば最初からやり直し、おまけに毎週末作文を書かせる、まあ力こぶの入った先生です。
(でもこの先生、明るく楽しく、怒るとおっそろしくこわいけど普段はやさしい温かいお人柄で、子どもたちだけでなく保護者たちからも人気なのです☆)
そんなきびしめの宿題に、最初はヒィヒィいっていたふう太でしたが、しだいに慣れてきて、だんだん要領よくこなせる様になっていきました。
いまでは泣き言を言うこともほとんどなく
今日は4時40分までテレビみたら計算ドリルをやって、お風呂の前に漢字やっちゃお!
あと、〇〇は△△だから、お風呂の後にちゃちゃっとできるな。よしっ!!
なんて計画を立てて、当たり前にこなしています。
作文だって、最初は1ページだけで、内容も
(なんだこれは?メモ?いや、箇条書きかな・・・?)
というありさまだったのが、いちおう文章らしきものを3ページくらいは普通に書けるようになりました。
上手じゃないですよ。
でも、いいんです。
だって、メモが、箇条書きが、文章にまで昇格したんですから。
たいした進歩じゃないですか。
読む力も、以前は大苦戦していたような文章が、まあまあスラスラ読めていたりします。
それは、ふう太が練習を続けてきたからにほかならないと思うのです。
発達障害のために苦手としている部分をトレーニングして強化しようとするのは、本人にしてみれば、能力以上のものを求められるつらいことなのかもしれません。
こちらの感覚では『負荷20』と思っていることでも、ふう太にとっては『負荷80』かもしれません。
でも、
脳裏に安西先生がチラつきます。
能力外だと上限を決めつけて練習をやめてしまったら、成長は望めません。
ここのさじ加減が難しいなと、思うのです。
宿題の量が多くて大変なのは、発達障害じゃないクラスメイトたちも同じです。
ただ、ふう太にとって、それが頑張れないくらいしんどいことなのか。
なんとかうまく頑張っていけるくらいのことなのか。
たいへんなことからすぐに逃げるクセはつけたくないけれど、そこに労力をつぎこむより他を頑張るほうに力を使いたい。
白か黒か、1か10か、はっきり決められることじゃないからこそ、無理のない程度に頑張るのがいいんだろうなと思います。
その見極めが難しい。
いきいきした表情をしているか、朝から疲れたりしている様子はないか、遊ぶ時間やぼーっとする時間がとれているか。
そのあたりに注意しながら見守っていこうと思います。